Snow candlesーゆきあかりー

病院で報告することや、すぐに消えてしまう記憶を書き留めておくところ

2023/10/02(月)受診分

2023/09/11(月)~2023/09/17(日)

09/13(水)

ラツーダを飲んだら久しぶりにぐっすり眠れて気持ちが良かった。

目覚めもすっきり。でも二度寝したければ眠れる感じ。

ひどい鬱じゃない時は、何かしようかな、という気分にすらなる(これはこれで躁鬱に効いているのかもしれない)。

眠剤だと悪夢を見たり眠りが浅かったり、寝ても疲れがとれないけれど、何故だかラツーダだと自然に眠った時みたいな感じになる。どういう作用機序なのかはわからない。

眠剤の乱暴な眠気じゃなくて、眠くなってきたな~とベッドに入って目を閉じるとそのまま気持ちよく眠れるというか……あんまり上手に表現できないけれど、若く健康な日々に戻ったかのような。

胃に適量何か入っていれば影響ないので(でも寒天ゼリーとかは駄目だった。少し油分があったほうが良いみたい)、そのあたりをうまく調整していきたい。

眠れないと本当に病むし……。

09/14(木)

先日の診察で、今までどのくらいの量セロクエルを飲んだことがあるか~のような話が出たけれど、うっすらしか覚えていなかった。

確かそれなりの量をそれなりの期間飲んでいた気がするし、そしてびっくりするほど太ったことは覚えている。

人間ドックで腹囲を測った時に、前年とあまりにも違うものだから、何回も本人かと確認されたほどだ。

そこで、お薬手帳と薬剤情報提供書を読み返すことにした。

それぞれの先生との思い出が詰まっているので、何年経っても棄てられない。

まぁ、忘れっぽい自分だから、いつかこういうことになるのではないかと予測していたのもある。

その内容はこの記事の前(下にスクロールしたところ)に簡単にまとめたので、必要がありそうなら読んでくれると嬉しい。

 

セロクエルでいうと、2012年の6月に300mgを飲むようになり、2013年の3月頃に中止になっている。

理由は覚えていない。その頃夫だった人と揉めていて、それからすぐの4月に離婚したくらいなので、覚えているだけの余裕は無かったのかも。

 

最近10kg以上の減量に成功したので、ここで太るのは悔しすぎる。

ゆるゆるやっているけれど、まだ痩せる気もあるし。

前の病院では脂肪肝や血糖値について注意を受けることが多かったので、そういうことも気になっているし、父方の親族はほぼ全員糖尿病なので、できるだけ避けたいというのが本音。

09/15(金)

ずっとうまくできないでいた執筆活動をしている。

それも、複数同時進行で進めていて、さらに次にやりたいことがあって、忙しいっていうか、やや躁気味なのかも。

できれば眠らないで書いていたいし。

こういう時はまた、書けちゃうから楽しくてなかなか止められない。

最後のシーンを満足いくかたちで書き終えた時は、達成感やら充実感やら、多幸感かもしれない気持ちで満たされる。

その幸せを繰り返すため、物語を綴っていくのだ。麻薬だねぇ……。

(もちろんそれだけのために書いているわけではない)

他のことはともかく、睡眠は確保できるように頑張ろう。大事だと思うから。

2023/09/18(月)~2023/09/24(日)

09/19(火)

ラツーダ飲むようになるまで、私は寝ることが嫌いだった。

理由があったのかどうかはもう覚えていないけど、鬱でも躁でも「眠りたくない」っていつも言っていた。

寝たくないから余計に眠剤も効かなかったのかな。

飲んでも効かなかったり、効く薬でも、すっきり寝起きができないというか。

重い感じで、気分が悪い。とにかくそんなわけで寝るのが嫌。

寝ないとダメだって思うから薬を飲むけど、しばらくすると「どうせ効かないから」って飲むのをやめて貯めたりする。

その時の先生と相性が悪かったので、こちらから「いらない」とも言わなかったし、先生も人の話を聞かない人だったので、相談もしなかった。

眠れないけど、眠りたくもない。

眠りたくないのだから、眠れないことが正しいんだけど。

いや、ダメだけど。あまり寝不足すると躁転しがち。

でも、ラツーダ飲んだら何故か眠れて。

何故か眠りに対して即効性がありすぎて先生は首をかしげていたけど。

眠剤じゃないしね。

でも、なんか初めて、眠ることが気持ちいいと感じた。

今は楽しみですらあって、ベッドでごろごろしてるのがかなり幸せ。

ずっとこんな時間が続けばいいのにとか思っている。

2023/09/25(月)~2023/10/01(日)

10/01(日)

最近は、やりたいことがいっぱいある感じ。

でも気力がない。何もやりたくない(矛盾)。

意欲に気力が追いついていない。

なんていうか、怠いのである。全体的に怠い。

そういう自分に焦ってぐるぐるしがち。

それでも体は動かしてるかな。よく歩いたり、トレーニングアプリで軽い筋トレしたりしている。たぶん元気ではあると思う。

以前は、10月はかなり良くなくて、毎年希死念慮がすごかったのだけど(誕生日に死にたかったので)、近年は死ぬほどではなく過ごせるようになった。

あと二週間くらいで娘が二十歳になるのだけど、それもちゃんと祝ってやれそう。

「子供も大きくなったし、もう思い残すことはない」って思ったりもなさそう。良かった。

 

私の母について、妹も友達もみんな毒親だという(差別されていたので、妹に対しては毒親ではない)。

最近まで何をされても「私のためによかれと思ってやってくれている」と受け取っていたけど、言われてみれば結構ひどいこともされていた。

実態を言えば言うほど「そんなことされてたの!?」って言われる。妹に。

なんていうか、母は支配したがりなんだろうな。私を自分の思い通りにできない状況が不安なのかもしれない。

それはうちの子に対してもそんなところがある。

まぁそのへんのぐちゃぐちゃは近々向き合うかもしれないし、少し距離をとりながら親が死ぬまで黙っているかもしれない。甘い歯がゆいと言われるけど、老い先短い親にあんまり否定的なことを言いたくない気持ちもある。今さら言ってもどうにもならないしね。

「あの時のこれが嫌だった」とか言っても、言い訳しか聞けないだろう。

「自分が一番正しい」人だから。

……とか思っちゃうから、あんたは甘い、逃げてるだけ、子供のためにもしっかりしろって言われるんだろう。

(今週、10年ぶりくらいに妹が帰省して、今後について家族会議をすることになっている。両親の死後の始末とか。家族で集まるのは20年以上ぶり)

 

それはさておき、自分は子供たちをどう育ててきたんだろう?

私だって相当子供たちには酷なことをしてきた。

ひとの子育てについて偉そうなことを言える立場ではない。

親が病気っていうのは重大なことだし、病前はわりと熱心な親だったので、急に「何もできません」「死にます」っていうのは衝撃的だっただろう。

でも、二人とも曲がらず素敵な大人になってくれて嬉しい。

彼らも挫折も足踏みも遠回りもしているけど、私はそういうことで文句を言ったことはないし、気長に話を聞いてよりそってたら自分で考えて克服していった。

会話はいっぱいしたけど、あんまり怒ることはないし、叱ることもあんまりなかったかな。話し合いや言い聞かせるのはもちろんしたし、それでわかってくれるタイプの子供たちで運も良かった。

娘が保育園くらいの頃は、私も躁鬱で荒れていたから、叩いたり怒鳴ったりもあったんだけど、ある時「私はこんなことがしたくて産んだんじゃない」って思って……。

幸せにしたいし、笑ってて欲しい。

そこから、怒れなくなっちゃった。怒り始めたら止まらない気がして怖くて。

それはそれでネグレクトとか躾してないとか親失格とかいろいろ言われたけど。

基本的に発病後の子育てについて、私はたいしたことをしていない。

彼らが自分で頑張って育っただけだと思う。

先日、娘に「(この二十年間)私は母親としてどうだった?」と聞いてみた。

答えは「頼りにできないと思う時があった」だった。

「病気で弱ってる親に、いじめの相談とかできなかったんだよね~、お兄ちゃんもその時不登校だったし、遠慮しちゃった」

ということらしい。

申し訳ないことをしてしまったな。

私が元気だったら違ったのかな。

娘の進路とかも変わっていただろうか。

知ってたら何かできたかもしれない。

でも、やっぱり何もできなかったかな……。

息子についてはありえないくらい重荷を背負わせてきたので、本当に恨まれても文句は言えないのだけど、独立して結婚した今でも私たちを大事にしてくれている。

うちは本当に母子仲がいいので、子供たちが遠くにいってしまったらきっとすごく寂しくなるけれど、でもそんな時くらい、得意の「ものわかりのよいふり」で送り出したいものである。

大事なところだけは間違わないように。

 

なんかどうでもいい話を書いてしまった。

「私はあんまりいい親ではないけれど、うちの子はいいやつに育った」くらいの話。